2006年02月14日
日本製紙とセントラル硝子、ソーダ電解事業から相次ぎ撤退
【カテゴリー】:行政/団体(経営)
【関連企業・団体】:セントラル硝子、東亞合成

 か性ソーダ業界では、日本製紙グループの日本製紙ケミカルが今年3月末限りで岩国工場のソーダ電解設備を停止する。続いて6月末にはセントラル硝子が川崎工場のソーダ電解事業から全面撤退する。最盛期の1974(昭和49)年当時、38社・54工場あったソーダメーカーは、その後の“市場の低迷”の中で次第に姿を消し、この7月には24社・30工場となる。
 
 日本製紙の電解設備は、1961年に山陽パルプ(当時)が岩国工場に完成した。わが国紙・パルプ業界では唯一の自社生産メーカーとして優位性を発揮してきた。か性ソーダの設備能力は年産約3万トン。
 
 しかし、その後紙・パ業界では環境対策の一環として、クラフトパルプ製造設備のECF化(塩素を使用しない漂白法)が進み、岩国工場も今年の1月からECF化設備に切り替えた。
 
 同社では国内の液体塩素需要が伸びない中で、余剰となる液体塩素の販路を新たに開拓していくことは困難と判断、同事業から撤退することにした。今後設備は廃棄、塩素化ポリオレフィン製造に必要な塩素は外部購入する。
 
 また、セントラル硝子は1963年に東亜燃料工業(現東燃ゼネラル石油)グループと合弁会社セントラル化学を設立、電解ソーダの生産を開始した。年産能力は7万トン弱。その後東亞合成化学(現東亞合成)と合弁で塩ビ事業に進出した。
 
 だが、塩ビ事業は長く続かず市場環境の悪化から03年に撤退。その後は電解設備の稼働率を抑えつつ、か性ソーダと塩素誘導品の生産を継続してきた。
 
 しかし同社は、これでは中長期的に見て収益改善は見込めないとし、経営資源を高付加価値事業に投入することにした。今年6月末までに電解工程を停止し、設備を廃棄する。これに伴い、か性ソーダ、次亜塩素酸ソーダ、塩酸、液化塩素、二塩化エタンなどの誘導品の生産、販売を中止する。
 
 業績への影響については、06年度以降電解関連の売上高が約50億円減少するものの、収益面への影響はほとんどないとしている。