| 2008年07月03日 |
| 石化協・創立50周年 「苦難」の歴史を振り返る |
| 「過当競争・構造改善」先人たちの教訓に学ぶ |
| 【カテゴリー】:行政/団体(経営) 【関連企業・団体】:なし |
昭和33年(1958)にメーカーわずか10社で発足した石油化学工業協会がこの6月末、創立50周年を迎えた。きょう3日は、都内のホテルで定時総会のあと多くの来賓を招き記念パーティを開く。 わが国石化業界は、今でこそ広く社会に重要な基礎素材を提供する基幹産業として高い地位を得ているが、これまでの道のりは決して平坦なものではなかった。 常に時代の先端を走り、一般社会に多くの光をもたらしてきたのは事実だが、その一方では過当競争や設備過剰、不況、環境問題といった「かげ」の部分に絶えず苦しみ続けてきた。以下、先人たちが残した、半世紀の足跡を振り返ってみることにした。 ■10社でスタート、初代会長は三菱油化・池田亀三郎社長 石化協が発足した昭和33年といえば、日本経済はようやく戦後の混乱と不況・沈滞ムードから抜け出そうとしていた頃だった。 この年の春、三井石油化学が岩国にわが国第1号となるエチレン年産2万トン、住友化学が新居浜に同1万2,000トンプラントをほぼ同時に完成させた。 白銀に輝く塔槽類が当時のグラフ誌を飾った。「石油化学は20世紀の魔術師ー石油からプラスチックや合成繊維、合成ゴムなどの新しい製品がつぎつぎにつくられる」と、マスコミは、新しい時代の到来を告げた。通産省も石油化学を「育成産業」に指定し、積極的に国産化を後押しした。 石化協は前年の32年に結成された「石油化学工業懇話会」を母体にして誕生した。メンバーは、旭ダウ、昭和油化、住友化学、日本石油化学、古河化学、丸善石油、三井石油化学、三菱石油、三菱油化、モンサント化成の10社。その後すぐ日本合成ゴム、日本触媒化学、日本ゼオンの3社が加わり、同年末には13社となった。 初代会長には、わが国石油化学の“生みの親”ともいうべき、池田亀三郎・三菱油化社長が就任した。以下順に、坂巻善一郎・日石化学、岩永巌・三井石油化学、長谷川周重・住友化学、岡藤次郎・三菱油化、鳥居保治・三井石油化学、堀深・旭ダウ、黒川久三菱油化、土方武・住友化学、淡輪就直・三井石油化学、吉田正樹・三菱油化、岸本泰延・昭和電工、鈴木精二・三菱化成、森英雄・住友化学の各社長と、そうそうたる顔ぶれが続く。 時代は、この第14代・森会長のときに、昭和から平成に変わった。そしてあれほど業界を揺るがしてきた、構造改善をめぐる「激しい議論」は、いつの間にか消えた。国際化が進み、外に向かって仕事をしていくようになれば、国内でのやりとりは無意味というより、陳腐になる。行政当局も業界各社もそれを悟ったにちがいない。 ■オイルショックと構造不況 石油化学製品の生産量はこの50年間、比較的順調に伸びてきた。エチレンの生産は昭和33年のスタートから8年後の41年には100万トンを超え、44年200万トン、48年には400万トンを突破した。プラスチックの生産は42年に西ドイツを抜き、アメリカに次いで世界第2位となった。半世紀経った現在は、市場が成熟したこともあり770万トン前後でほぼ安定推移といったところだ。 とはいえ、半世紀にわたる歴史の中には、実にさまざまな、時代を象徴する“事件”あるいは出来事があった。これまでの道のりは決して平坦とはいえなかったのである。 第1次オイルショックで原油価格が4倍に跳ね上がったのは、昭和48年末から49年春にかけてだったが、業界はその数年前から“激動の70年代”に入っていた。大阪、鹿島にコンビナートが完成。通産省の「エチレン30万トン基準」(42年)が逆効果を生み、先後発の各社が相次いで大型化計画に取り組む。丸善石油化学が第1号30万トンプラントを完成したのは44年だった。47年4月にはエチレンで初の不況カルテル結成。 そして53年には第2次オイルショックに見舞われ、55年にはイラン・イラク戦争が始まる。ナショナル・プロジェクトとして期待されたIJPCのイラン石化計画は、完成目前の工場が何度も被爆し、ついに計画断念に追い込まれる。“内憂外患”こもごもの中で、業界は再び構造不況に陥り対策を迫られる。その一方で、原料用ナフサの輸入は実質的に自由化された。 58年には「産構法」が公布され、エチレン、ポリオレフィンの設備処理問題や集約化が議論される。構造不況とは何かが改めて問われ、連日熱っぽい議論が繰り返された。タフな経営者がそろっていたし、論客も多かった。共販会社が営業開始したのはこの頃だ。 50年の歴史を通じて、最も印象に残った出来事は何か、と聞かれれば、答えはやはり昭和57年の住友化学・土方武社長を団長とする欧州調査団派遣だろう。当時ジャーナリストとして活躍した、故明昌保氏のコラムが、いかにも核心を突いているように思われるので、以下に再掲する。 ■当時のコラム「EPCAの沈滞ムードと訪欧調査団」 住友化学の土方社長を団長とする「石油化学産業調査団」がさる2日欧州に向かった。そしてこの調査団については、当初から業界の内外でいろんな見解が表明され、欧州を見学しても得るところはないだろうという見方が一般に強かった。というのも、産構審の石化体制小委員会で論議された過剰設備の処理について、総論はともかくとして各論に入ると一歩も進まない状況にあったからである。 当局側は新特安法適用の最大の柱として石油化学をとりあげているだけに行政主導といわれながらも日程の消化に懸命にとりくみ、その一環として代表団派遣となった。各論がなぜ進まないのか、その理由は今さらいうまでもあるまいが、少なくとも12センター企業のどの1社に当たってみても「わが社のオレフィンの競争力は他社に負けない」との確信が表明され、30万トン以下の設備についても“廃棄はしない”姿勢がうかがわれた。 話はかわるが、さる9月26、27の両日ベニスで開かれたEPCAに出席した人によれば「まるで病院にきたような感じだった」とか。そしていわく、欧米各石化メーカーでも石油系の人は明るい表情、そしてEG系3社のようにファインケミカルで収益をえているところはまずまずで、もっぱら石化汎用品に頼っているメーカー代表は、極めて暗い表情だったという。つまり石油化学専業メーカーには出口はないというのである。 そうした厳しさを、今回の調査団はどう受け止めてくるか、その厳しさが分かれば13社のうちの何社かがこのさいセンターの集約化をやろうと意気投合する、あるいは主要誘導品についても協業などの方向が見出せれば、まさに“瓢箪から駒”の成果といえる。オレがオレがといっていては債務超過は目の前、破綻は避けられないと思えば行政指導以前の自主決断で事は前進するのではないか。(57・10) |