2013年03月15日
第4回化学遺産に「アンモニア合成の開発と企業化」など5件
【カテゴリー】:行政/団体
【関連企業・団体】:日本化学会

日本化学会は、歴史資料の中でも特に貴重なものを認定し次世代に伝える「化学遺産」の第4回として「「日本の近代化学工業創出の原点:国産技術開発によるアンモニア合成(東工法)の開発とその企業化」など5件を認定した。平成21年度からスタートした化学遺産認定は、これで22件になった。


第4回化学遺産認定の5件は次の通り。

▽小川正孝のニッポニウム発見:明治日本の化学の曙=小川正孝は、1904-06年ロンドン大学ウィリアム・ラムジーのもとで研究、鉱物トリアナイトに含まれる新元素「ニッポニウム」を発見したと発表した。だが認定されず幻の新元素のひとつとされていた。しかし、近年に至り、小川の遺品の中にあったX線分光分析写真の解析によって、当時の未発見元素で1925年ノダックらが発見した75番レニウムであることが明らかになった。

▽女性化学者のさきがけ、黒田チカの天然色素研究関連資料=黒田チカは初の女子帝大生3人のうちの1人として東北帝国大学に入学し、眞島利行教授の指導で紫根の色素を研究してその化学構造を明らかにし「シコニン」と命名した。1918年に東京化学会大会で女性理学士初の研究発表を行って社会の注目を集めた。天然物化学の研究とともに歩んだ黒田チカの一生は、女性化学者のさきがけとして特筆される。

▽フィッシャー・トロプシュ法による人造石油に関わる資料=1938年に設立された北海道人造石油は、ドイツから導入した技術であるフィッシャー・トロプシュ法(FT法)により、石炭から得られる一酸化炭素と水素との混合ガスからコバルト系触媒を用いて、人造石油の工業生産を目指した。1939年から同社滝川工場で工業化された。大学における基礎的な触媒研究に基礎を置いた工業化であり、戦後の石油化学産業につながる事業であった。

▽国産技術によるアンモニア合成(東工試法)の開発とその企業化に関する資料=農商務省は1918年に臨時窒素研究所(1928年に東京工業試験所に吸収)を設立し、アンモニア及び硫安の製造技術の開発に着手した。1927年にアンモニアの高圧合成に成功し、昭和肥料(現昭和電工)はこの合成法により1931年にアンモニア及び硫安の大量生産に成功した。生産規模は、当時国内最大の年産15万トン(硫安)だった。

▽日本における塩素酸カリウム電解工業の発祥を示す資料=マッチ工業の重要原料である塩素酸カリウムは1893年に日本舎密製造で工業化されたが、輸入品に敗れて1897年に中止した。日本化学工業の棚橋寅五郎は1910年に電解法による工業化に成功した。その後、会津工場は1923年に操業停止、1932年に日本沃度(現昭和電工)が購入・運転再開の経緯をたどった。製造建屋は、1910年工場発足当初のまま現在も使われている。