2021年12月22日
熊本大「西南戦争、銃弾の鉛はどこから?」
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 琉球大学 理学部の新城竜一教授と、熊本大学大学院 先端科学研究部の細野高啓教授らの研究チームは21日、19世紀に日本で起こった西南戦争(1877年)で薩摩軍が使用した銃火器の弾丸が、日本国内の鉱山で採掘された鉛鉱石と同じ鉛同位体比を示したと発表した。
 
 当時使用された銃弾を多数収集し、歴史学的検討を行うとともに、鉛同位体比の化学分析を行った。
 同調査によると、19 世紀前期~中期の鉛資源の流通シェアは、世界的にはイギリスが多くを握っていた。だが日本で出土した銃弾はそうではなかった。

 また、西南戦争で使用された銃弾は、銃弾の形態観察により、新政府軍は最新式の後装式銃(スナイドル銃)を用いていたのに対し、薩摩軍は旧式の前装式銃(エンフィールド銃)を使用していたことも分かった。さらに、これまで来歴不明だった、西南戦争における新政府軍の銃弾の鉛はイギリス産である一方、薩摩軍が使用していた銃弾は国産の鉛を使用していたことが明らかとなった。

 日本は、鉄砲の伝来以来、銃火器を用いた戦争・内戦がか各地で発生したが、銃弾に用いられた鉛は多くは中国の北部や南部、朝鮮半島、タイなどからもたらされていた。
 
 江戸時代に入ると、鉛資源のマーケットが大きく変わり、日本の鉱山で採掘された鉛鉱石と同じ鉛同位体比を示す銃弾が増えた。江戸時代は最新式の洋式銃であっても、弾丸は輸入に頼らず、日本国内で自前で銃弾を準備していたことが読み取れるという。
同研究成果は「Journal of Archaeological Science: Reports」に掲載された。

ニュースリリース参照
https://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakujouhou/kouhou/pressrelease/2021-file/release211221.pdf